御書

御書講義・座談会御書の指導と研鑽

佐渡御書|2月度座談会御書

佐渡御書の御書全集957ページ7行目から10行目の範囲が「平成23年2月度の座談会御書」の拝読範囲です。拝読範囲の佐渡御書のテーマは「わが胸中の師子王の心を顕せ」との日蓮大聖人の渾身の叫びです。それはまた、万人の成仏の根本である正法をなんとしても護ろうする強いお心から発したものです。

自らの壁を乗り越え、宿命転換をしていく信心の実践に師子王の如くなる心が不可欠であることを学んでいきたいと思います。

佐渡御書は創価学会の御書

佐渡御書は宿命転換の御書であり、宿命転換の信心を実践する創価学会の御書といえます。宿命転換については2月度の御書講義の拝読範囲で深く触れていますが、それはまた、戦う信心なくしてはありえません。そして戦う信心に不可欠であるのが師子王の心であるのです。

佐渡御書 拝読範囲 引用

畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し(御書全集957ページ7行目~10行目より引用)

悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時とは

「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は」とは、悪い権力者・支配者が正法を破ろうという時に、権力に媚びる邪法の僧達がこの味方になって、仏法即社会の道理を説く智者を亡き者にしようという時という意味です。

ここで言う智者を失はん時とはまた、学会員の私達が日蓮大聖人の仰せのとおりに広宣流布の戦いを起こして、難が競った時ということができます。日々の学会活動は地道ではあっても、唱題根本に相手の命に深く切り込む戦いです。

相手の貪り・瞋り・愚かの三毒の命を呼び起こすこともしばしばです。また、自らの怯む命も呼び起こすことでしょう。まさに、その時こそ、信心を奮い起こして師子王の心を取り出だし、勝利を決する時といえるのではないでしょうか。

畜生の心

畜生の心は弱きをおどし強きをおそると仰せであり、大聖人ご在世当時の多くの学者たちが幕府権力に媚びへつらう畜生の心の持ち主であったと言われています。まさに、畜生の心とは、本能のままに流され行く、人の道から外れた卑しい心です。そしてその学者達が団結して権力側について日蓮大聖人を亡き者にしようとしたのです。

これに対して日蓮大聖人は、師子王の心を取り出だして戦い、大勝利されています。御本仏日蓮大聖人は自らが模範の実践をもって、師子王の心の何たるかを示されたのです。

師子王の如くなる心

「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」とは、日蓮大聖人が「私の戦ったように戦いなさい」「弟子よ負けるな!」「弟子よ勝て!」と言われている部分です。師弟不二の信心に立ち、師子王の心で断じて勝ちなさいと仰せです。

池田先生は「戦えば強くなる。戦わなければ、卑劣な敵に食い破られる。人の団体も『戦い続ける』ところだけが、他の何倍も発展し、栄えていくのである」と言われています。

仏法は勝負です。自身にそして広布の戦いに勝つか負けるかであって中間はありません。勝つことが幸福であり、敗北は不幸です。故に、勝つために、なんとしても師子王の如くなる心を持ちなさないという、大渾身の激励をされているところです。

師子王の心
わが胸中の師子王の心を顕すために信心の実践があります。そして、その実践のための根本が御本尊であり唱題です。今回拝読の佐渡御書を通して、信心の実践に師子王の心が不可欠であることを深く自覚したいと思います。

大悪大善御書|1月度座談会御書

2014年(平成26年)の正月(1月度)の座談会の拝読御書は、大悪大善御書(だいあくだいぜんごしょ)です。

大悪大善御書は、一部分のみ伝えられた短いもので、詳細は不明ですが、日蓮大聖人の予言どうりに他国侵逼難等が現実となって社会が騒然する中、門下に厳しい迫害が加えられていた時の御書と推察されます。

大悪は大善の前兆であるから、少しも嘆く必要はない、と門下を激励されています。

拝読範囲のテーマは『我らは地涌の菩薩でなり。誓願を胸に歓喜の舞を!』であり、地涌の菩薩の使命を教えられた御文となっています。

大悪大善御書の拝読範囲本文

『大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか(御書全集1300頁1行目から3行目より引用)』

大悪大善御書の拝読範囲通解

大きな出来事の起こる前には、小さな瑞相はない。大悪が起これば、必ず大善がくるのである。すでに大謗法が国に充満しているのであるから、大正法は必ず弘まるにちがいない。

あなた方は何を嘆くことがあろうか。(必ず大善が来るとの喜びに)迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から現れた時には、まさに踊り出られたのである。

大悪大善御書の講義

「各各なにをかなげかせ給うべき」。何を嘆かれることがあろうか、という日蓮大聖人の大確信を学ぶ。

人間には、「何があっても負けない、失敗しても次の勝利の糧にできる力」が具わっており、「まいをも・まいぬべし」とは、その力のことを地涌の菩薩が大地から湧き出でて舞いを舞う姿に譬えられている。

これを池田先生は『さあ、戦おうじゃないか!』という心だと言われている。そして、この心を持続できれば『嘆くべき不幸も、必ず、前以上の大きな幸福に変えられる』と断言されている。

その力はどうしたら出すことができるか。この点についても池田先生は『人のために働くなかに【真実の自分】が輝く。【生命の底力】が湧いてくる。それが【人間】です』と指導されている。

そして、一番人のためのなることこそ、真の幸福と無限の希望に生きられるこの仏法(妙法)を教えてあげることに他ならない。

不軽菩薩のスクラムで世界広布新時代開幕の年をスタートして参りましょう

一生成仏抄の講義|1月度座談会御書

2012年1月度の座談会御書は一生成仏抄です。『青年学会 拡大の年』の年頭、拝読範囲のテーマを「唱題行」とする御書でスタートを切ります。

一生成仏抄の今回の拝読範囲では、まず、日蓮大聖人の仏法は変革の宗教であると宣言。自身の心の変革によって、成仏という、生命の根本的な変革も成し遂げられると言われています。

一生成仏抄の背景と大意

一生成仏抄は建長7年(1255年)に著されて富木常忍に与えられたと伝えられています。同じ南無妙法蓮華経のお題目を唱えても、自身の生命の外(ほか)に法があると思って唱えたならば妙法ではなくなってしまうとと強調され、「唱題行」の意義について、法理と実践の両面から明らかにされている御抄です。

一生成仏抄の今回の拝読範囲

『衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(御書全集384ページ2行目から5行目より引用)

一生成仏抄の講義

衆生(凡夫)と仏の両者に分け隔てはなく、迷うのが凡夫であり悟るのが仏であると仰せです。そして、迷いの生命を悟りの生命に変革するのが南無妙法蓮華経の唱題行。さらに、生命練磨の唱題行に大切なことは、深く信心を起こす勇敢な心と日夜朝暮に又懈らず磨く持続の信心であるとされています。

勇敢な心については、正木理事長が新年勤行会拝読御書の種種御振舞御書の講義で『正義を語れない臆病者では、自身の生命に真の正義は確立できない。人に語ることは、自身の中に正義を確立しゆく戦いなのだ』と言われています。

この指導は、立正安国の原理にも通ずる重大な指導だと思います。折伏というのは自身の中に正義を確立しゆく戦い。広宣流布とは、自身の中に正義を確立しゆくことで、友の心の中に正義を確立しゆくこと。その連続闘争なのだと確信するところです。

青年とは、希望とは、真実とは、広宣流布という、友の為の法戦を貫きゆくことなのだ、とは、「青年よ広布の山を登れ」に一節です。その具体的な実践方法をご指導された御書が、今回の座談会御書・一生成仏抄の拝読範囲です。

三三蔵祈雨事の講義|1月度座談会御書

三三蔵祈雨事(さんさんぞうきうのこと)が 2010年1月度の座談会御書となりました。師匠の大境涯を仰ぎ、月月・日日に人間革命しゆくことを学びたいと思います。以下に、座談会御書の講義として自分用にまとめた内容を掲載します。

三三蔵祈雨事 拝読部分の(講義)

あなた方はどのような過去世での善根によって日蓮を訪ねられているのでしょうか、と、讃えられています。そして、「よくよく過去をお尋ねになれば」とは、師弟の契りが過去・現在・未来の三世にわたる離れ切れざる絆(きずな)であるので、師匠と共に戦い抜こうという師弟の原点に立ち返えるならば、また、師匠を求め抜いて行くならば、ということになります。

そして、その原点に立ち返るならば特別なことはなくとも生死の迷いを離れることができるだろうと仰せになっています。

次に須梨槃特と提婆達多の例を挙げられます。須梨槃特は14字の教えを3年も覚えられなかったのに成仏し、提婆達多は6万もの法門を暗唱できたのに地獄に堕ちたと仰せです。

これは師弟不二に徹し、師匠を求め抜いたからこそ成仏できた須梨槃特に対し、提婆達多はいかに頭脳が優秀であっても、信心の根幹である師弟をわきまえなかったが故に地獄に堕ちてしまったということです。そしてこのことは悪世末法の今のことであり、他人ごとではなく自分のことだとわきまえなさいと仰せになっています。

1月1日付けの聖教新聞の「随筆 我らの勝利の大道」で池田先生は『「師弟不二」とは師匠の大境涯を仰ぎつつ「月月・日日に」自分自身を人間革命することだ』と言われています。師匠の大境涯を仰げるかどうか、そして自分自身の変革にチャレンジできるかどうかが信心の根幹である師弟不二に通じていけるかどうかの分かれ道であるということです。

四菩薩造立抄に曰く、「日蓮が如くにし候へ(四菩薩造立抄|御書989ページ)」と仰せのままの実践で世界192カ国地域へと広宣流布された師匠・池田先生は、世界最高の師弟不二の模範を示されています。

私たちの80周年もまた、師匠の大境涯を仰ぎつつ人間革命にチャレンジすることが根本だと思います。どんなことがあっても師匠への誓願を根本に生活に仕事に大勝利して参りましょう。

三三蔵祈雨事(御書全集1472ページより)の本文

抑各各はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ、能く能く過去を御尋ね有らば・なにと無くとも此度生死は離れさせ給うべし、すりはむどくは三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ・是れ偏に末代の今の世を表するなり、敢て人の上と思し食すべからず

師匠の大境涯と師弟不二について

西山殿とは|真言は亡国の法|悪世末法で善知識には巡り合い難い|善知識と悪知識の判別は道理・証文よりも現証|師匠の釈尊をひたすら求めて成仏した須梨槃特のように大聖人という善知識を求めるよう、深い信心を促す。