四条金吾殿御返事(八風抄)の講義内容を掲載します。2024年8月度の座談会御書を地区座談会で担当するものとして、気づきや感動も交え、八風に侵(おか)されない、負けない信心についてまとめました。
今回のテーマは、「いかなる苦難に遭おうとも不屈の人が最後に勝つ」、という確信であり、具体的には、以下が拝読のポイントとなっています。
- 八風に揺るがぬ幸福境涯を築こう
- 信心根本に生き抜く人を諸天が加護
拝読・研鑽の一助ともなれば幸いです。
2024年8月度座談会御書【四条金吾殿御返事(八風抄)】の講義|拝読範囲の背景と大意
おはようございます
『日蓮の手紙』(植木雅俊/訳・解説)に、賢人は八風におかされない『八風抄』が出てまいります。
八風とは「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」の八つです。
大雑把にいいますと、利あるに喜ばず衰えるに嘆かずだと続け、八風におかされない人を天は必ず守ると締めます。 pic.twitter.com/i9gF8vSwti— 西舘野たいら (@klr7IWgwbrUqFtz) June 7, 2024
本抄は 建治2年(1276年)または 建治3年(1277年)に鎌倉の門下の中心的存在であった 四条金吾に送られたお手紙で、内容から「八風抄」とも呼ばれています。ではなぜ、お手紙を送られることになったのか?重要な背景について確認致します。
日蓮大聖人が、「生きては帰られないされた流罪地の佐渡」から鎌倉に戻られた後、四条金吾は満を持し、勇気を出して、 主君の江間氏を折伏しますが、これが事の始まりです。
江間氏は大聖人に佐渡流罪をもたらした極楽寺良観を信奉していて、金吾の折伏を快く思わず、そこにさらに、主君の信頼が厚い金吾を妬んでいた同僚たちが金吾を陥れるウソの告げ口を吹き込み、江間氏は 金吾を遠ざけるようになっていきます。
江間家の中で孤立してしまった金吾にやがて、領地替え、今で言う「左遷」の内命が下され、窮地に陥った金吾は、所領問題で主君を相手に訴訟を起こそうとまで思い詰めるに至ったのです。
そして本抄は、この報告を聞かれた大聖人が、心を動揺させる「八風(八つの風)」を例に、金吾を諭されている御書となります。
【四条金吾殿御返事(八風抄)】2024年8月度座談会御書の講義|拝読範囲の御文と現代語訳(通解)
他でもない「賢人」の生き方といえるだろう。「八風」に侵されぬ人生と「八風」に翻弄されゆく人生と。
つれづれ随想 わたしの説話抄より pic.twitter.com/ILFK9MFrzP— 💜💘みこりん💖💜 (@Tki1CgqOuJJWQCB) November 15, 2022
【本文朗読】
音読の際の注意点:「まぼり」と発音する(新版御書全集の表記)
「まぼり」の古語の意味は?▼
まもり 【守り・護り】 守ること。 守護。 護衛。
【拝読範囲の御書本文】
賢人は、八風と申して八つのかぜにおかされぬを、賢人と申すなり。利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみなり。おお心は、利いあるによろこばず、おとろうるになげかず等のことなり。この八風におかされぬ人をば、必ず天はまぼらせ給うなり。しかるを、ひりに主をうらみなんどし候えば、いかに申せども、天まぼり給うことなし。(新版御書全集:1565頁3行目から6行目)
【拝読範囲の現代語訳(通解)】
賢人とは、八風といって八つの風に侵されない人をいうのである。八つの風とは、利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみである。おおよその意味は、利益があっても喜ばず、衰えても嘆かないなどのことである。この八風に侵されない人を、必ず諸天は守護されるのである。
それなのに道理にはずれて、主君を恨んだりすれば、どんなに祈っても、諸天が守護されることはないのである。
【四条金吾殿御返事(八風抄)】2024年8月度座談会御書の講義
<八風について、四順と四違の説明>
八風とは、人の心を動揺させる出来事・働きに8種類あるとするものです。大きくは、以下の2種類に分類されます。ーー
- 人々が望み求める⇒四順(しじゅん)
- 人々が嫌がり避ける⇒四違(しい)
さらに個々に見ていくとーー
<四順とは>
- 利い(うるおい):利益を得て潤う
- 誉れ(ほまれ):世間から誉められる
- 称え(たたえ):人々から称えられる
- 楽しみ(たのしみ):心身が楽しい
<四違とは>
- 衰え(おとろえ):損をして衰退する
- 毀れ(やぶれ):世間から軽蔑される
- 譏り(そしり):悪口を言われる
- 苦しみ(くるしみ):心身が苦しむ
以上のような意味となります。
四条金吾が報告した経緯からも、それは、「四違」に押しつぶされそうな並大抵のものではない苦境であったことがわかります。
しかし、大聖人は、恩ある主君を恨み、訴訟を起こすなどは、「道理」反することで、諸天から護られることはない。これまで通り、報恩の一念で主君に使えて行きなさい。と仰せになっています。
大聖人が佐渡に流罪となった折り、多くの門下に弾圧が及ぶ中、江間家では何ごともなかった事は、並々ならぬ大恩があること。また、大聖人の仰せ通りに行動した門下の祈りは叶い、そうではなかった者は思うような結果ではなかったと、実例を示されて、切々と金吾を諭されています。そして、師弟の心が一致した祈りの重要性を示されています。
この御指導通り、四条金吾は信心根本に忍耐強く主君への誠実な振る舞いを貫きました。そしてどうなったか。なんと、以前より広い領地を与えられるなど 見事な勝利の実証を示すに至ったのであります。
大百蓮華8月号(2024年)の49ページ中段以降で池田先生は、【八風に侵されない賢人とは「負けない人」の異名。大難の連続にあった学会が発展したのも、学会員の方々が「負けない人」であったから。されらに、「負けじ魂」で、けして負けないこと。その人が、最後には必ず勝つ!】と言われています。
「四条金吾殿御返事」(八風抄)
新版P1565 全P1151『賢人は、八風と申して八つのかぜにおかされぬを、賢人と申すなり。』
『八風』とは、
「四順」
利=利益を得る、
誉=誉めらる、
称=讃えられる、
楽=楽しい、
「四違」
衰=損をする、
毀=非難される、
識=識られる、
苦=苦しむ。… pic.twitter.com/0XzbvRvTPt— KTEC (@aawwgg) August 29, 2023
また先生は、同頁の上段でーー
【広宣流布の大願に生き抜く人こそ大賢人。八風に侵されず、わが使命の道を断固として歩み通すところに、諸天善神が動く】と、言われています。
「諸天善神が動く」とは、具体的には、大宇宙の働きが「妙法の道理にのっとった人を護る」、ということです。報恩感謝の一念で主君に仕え尽くした四条金吾に、大宇宙が動いたのです。
思えば、なんと「身近な一念と行動」が大宇宙の法則と繋がっていることか。改めて驚いた次第です。
しかし、一大法則である妙法に「中途半端」や「いい加減」はありません。リンゴが木から落ちる「万有引力の法則」しかりです。故に、八風に翻弄されてしまった一念と行動がいかなる結果を招く事か・・。恐怖を感じずにはいられません。
成しがたき異体同心を実現しつつ、善友・善智識の一大集まりである創価学会です。いかなる事があろうとも、お題目根本に、絶対に創価学会から離れない信心を貫いて参ろうではありませんか。
以上です。
四条金吾殿御返事(八風抄)の背景と大意|概要のさらなる詳細
本抄は 建治2年(1276年)または 建治3年(1277年)に鎌倉の門下の中心的存在であった 四条金吾に送られたお手紙です。その内容から「八風抄」とも呼ばれています。
文永11年(1274年) 日蓮大聖人が 流罪地の佐渡から鎌倉に戻られた後、金吾は満を持して 主君の江間氏を折伏します。
江間氏は極楽寺良観を信奉していましたが、蒙古襲来の危機が迫る中で、金吾は恩ある主君の幸せを願い、勇気を出して法華経の信仰を勧めたことと思われます。
しかし江間氏は 金吾からの話を 快く思わなかったようです。そこに、主君の信頼が厚い金吾を妬んでいた同僚たちが金吾を陥れるウソの告げ口を吹き込んだのです。
江間氏は 金吾を遠ざけるように なってしまいました。江間家の中で孤立してしまった金吾は 深刻な状況に陥ったようです。建治2年(1276年)には 金吾に対して 領地替えの内命が下ります。今で言う左遷と考えられます。
この報告を聞かれた大聖人は何があっても恩ある主君から離れずに仕え抜くよう教えられます。金吾も誠心誠意行動したことと思われます。
しかし 同僚たちから、「金吾は主君を軽んじている」などとウソの告げ口を重ねられてしまいます。金吾は自らの身の潔白を証明するためか所領問題で主君を相手に訴訟を起こそうとまで思い詰めたのです。
これらの報告に対する御返事が本抄です。本抄で大聖人は 「御心えあるべし。御用意あるべし。」と不用意な行動を起こさないよう諫められます。
続けて 江間氏は 親や親族にも 目をかけてくれた大恩ある主君であること。大聖人が幕府からの迫害を受け 佐渡に配流された時、多くの門下にも弾圧が及ぶ中 江間家では何ごともなかったのは並々ならぬ大恩であることなどを 大聖人は教えられます。
広く見れば 江間氏は 広宣流布の一端を 支えてくれた存在であるとも言えます道理の上からも仏法の上からも、恩ある主君に仕え切っていくことが人間としての正しい生き方・振る舞いであることを説かれているのです。
次に 「八風」に侵されない人が 「賢人」であり、その人を必ず諸天善神が守っていくことを教えられます。そして重ねて、訴訟は思いとどまるべきであることを指摘されます。
大聖人の仰せ通りに行動した門下の祈りは叶い、そうではなかった者は思うような結果ではなかった例を通し師弟の心が一致した祈りが重要であることを示されます。
その祈りも妙法に基づいた祈りでなければならないことを教え、2度目の蒙古襲来の危機の中、真言による祈禱が日本を亡ぼしかねないと破折されます。
最後に、卑屈にならず仏法者として堂々と振る舞うよう教えられています。金吾は本抄を頂いた後も続けて苦難に襲われますが、大聖人の御指導通り信心根本に忍耐強く主君への誠実な振る舞いを貫き、以前より広い領地を与えられるなど見事な勝利の実証を示しました。
四条金吾殿御返事(八風抄)についての池田先生のご指導
四条金吾殿御返事(八風抄)についての池田先生のご指導をご紹介しておきます。ご参考まで。
同志への指針
信仰とは、何ものにも揺るがぬ、堂々たる自分を創り上げる力だ。目先の利害や毀誉褒貶に一喜一憂して、紛動される人生は儚い。人々のため、社会のため、広宣流布の大願に生き抜く人こそ、大賢人なのである。
八風に侵されず、わが使命の道を断固として歩み通すことだ。そこに、諸天善神が動く。誇り高き「人間革命」の凱歌の劇が光る。悔いなき大勝利の歴史が残る。(御書とともに 78 名誉会長が指針を贈る より)
現実に勝つための信仰
智者とは世間の法よリ外(ほか)に仏法を行(おこなわ)ず、世間の治世の法を能(よ)く能く心へて候(そうろう)を智者とは申すなり(減劫御書、1466頁)
<通解(現代語訳)>
智者とは世間の法以外において仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ているのを智者とはいうのである。