時事と御書

毎月の座談会御書と御書講義御書及び教学部教学試験の研鑽についてのブログです。

5月度座談会御書の講義 四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

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平成29年(2017年)5月度の座談会御書は「四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)」で別名が「法華経兵法事(ほけきょうへいほうのこと)」です。

法華経の兵法とは強盛な信心のことです。しかし「臆病にては叶うべからず」と仰せのとおり、強盛な信心とは「勇気」の心であり、勇気こそ勝利の要諦となります。そして、「臆病の心を打ち破る」強盛な信心があってこそ、妙法の功力を現すことができるのです。故に、この信心を貫くならば、「仏法に行き詰まりはない」のであります。

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本書(四条金吾殿御返事)について

本抄は、鎌倉の門下の中心的存在であった四条金吾に送られたお手紙で、弘安2年(1279年)の御述作とされています。本抄の内容から別名を「法華経兵法事」ともいいます。

文永11年(1274年)、日蓮大聖人が流罪地の佐渡から帰還された後、金吾は決意に燃えて主君の江間氏を折伏しました。

江間氏は、大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者であったため、金吾は次第に主君から疎まれるようになり、かねて金吾をねたんでいた同僚たちからの圧迫も激しくなりました。

さらに建治3年(1277年)には、鎌倉での桑ケ谷問答を巡る良観らの画策によって、主君から法華経の信仰を捨てるよう迫られました。

しかし、金吾は大聖人の御指導通り、忍耐強く主君への誠実を貫きました。

やがて主君の信頼を回復し、弘安元年(1278年)には以前の3倍の領地を受け取るなど、勝利の実証を示していきました。

そうした状況の中で金吾は、金吾をねたむ勢力からの襲撃を受けました。本抄は、“敵に襲われたが、難を脱した”との報告に対する御返事です。

四条金吾殿御返事の拝読御文

なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候(御書全集1,192ページ15行目~1,193ページ2行目より引用)

祈りを根本に(信心の根本)

私たちは、自身の生活上の課題について、ともすると自分の力や経験で何とかできると考えたり、信心とは別の事柄と捉えて、御本尊への祈りと生活を切り離して考えることがあるかもしれません。

しかし、日蓮大聖人は、生活のあらゆる場面にあって、祈りを根本に置くべきことを教えられています。

今回の拝読御文も、その一つです。この仰せは、武士であった四条金吾に対しての御指導ですから、「兵法」「兵法剣形の大事」等と表現されています。

そもそも「兵法」とは、戦いに際しての兵の配置や動かし方、具体的な戦闘の方法、あるいは剣術などの武術を指す言葉です。

これは広く言えば、“仕事や生活の上での具体的方策”に当たります。

拝読御文では、そうした方策を生み出す根本は、全て妙法に具わっていることを示されて、生活にあっても、さまざまな手段や方策を根本のよりどころとするのではなく、御本尊への祈りを根本として、その上に、あらゆる方策・手段を用いていくよう教えられています。

もちろん、具体的な工夫・努力を軽んじてもよいということではありません。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」との仰せは、根本の信心を忘れて策や方法ばかりにとらわれることを戒められているのです。

真剣な祈りを根本に、仕事や生活でも、広布の活動においても最大の努力をし、智慧を発揮していくことが、「法華経の兵法」の極意なのです。

「臆病にては叶うべからず」との仰せについて

拝読御文に「臆病にては叶うべからず」とあります。日蓮大聖人は、臆病であっては何事も叶わない、ゆえに信心を奮い起こしていくよう、教えられています。別の門下に宛てたお手紙の中でも、「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書1282ページ)と仰せになるなど、大聖人は、信心を奮い起こしての勇気ある実践を繰り返し教えられています。

なぜ臆病ではいけないのか――。大聖人は、譬喩を用いて分かりやすく教えてくださっています。

「御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく・太刀つるぎにて・つかう人の臆病なるやうにて候べし」(同1138ページ)――祈りが叶わないのは、ちょうど弓が強いのに絃(=弓に張る糸)が弱く、太刀や剣があっても使う人が臆病であるようなものである、と。

強い弓であっても絃が弱くては、的を射ることはできません。強い弓や太刀、剣が、法華経そのものを譬えています。

いかに法華経に功力があっても、それを引き出すのは、どこまでも法華経を信ずる私たちの勇敢な信心の姿勢にあるのです。

内薫外護(ないくんげご)とは

日蓮大聖人は本抄で、四条金吾が敵を撃退できた時の具体的な「剣形」(剣術の形)は、諸天善神の一つである「摩利支天」が与えたものであると教えられています。

こうした諸天善神の守護の働きを説明するのが、「内薫外護」の法理です。

あらゆる衆生に内在する仏性が開き現れ、生命に「薫習」して覚りを生じていく力になることを「内薫」といい、この内薫の力が迷いの衆生を護り助ける働きになることを「外護」といいます。薫習とは、香をたくことにより衣服に、その香りが染み移るように、あるものの性が他のものに移ることです。

私たちの実践に即して言えば、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることで、内なる仏性の力が現れ出ることが「内薫」であり、それに応じて、一切衆生の仏性が外から起こす守護の働きが「外護」です。この「外護」が、諸天善神の働きです。

大聖人は、摩利支天の働きをもたらした根本は、大聖人が金吾に授けた妙法蓮華経の五字の力にほかならないと示されています。

諸天善神の守護を確信して、法華経の肝要である南無妙法蓮華経を強盛に信じ持つことが大切なのです。

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仏法に行き詰まりはない|池田先生の指針から

「心」がどうかで、一切は決まるのです。

「心」には、無明に覆われた心と、無明を打ち払って妙法の当体として輝く心とがあります。

無明に覆われた心は、悪から悪へ、不幸から不幸へと流転して止みません。生死の苦悩は、いよいよ深まっていかざるをえない。

それに対して、妙法の当体として輝く心は、悪から善へと変革する力を持ち、善から善へと確かな軌道を上昇する心です。(中略)

心には不可思議な力がある。心一つで、一切が変わっていきます。その心の力を現す修行が、自行化他にわたる唱題です。

大聖人は「心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う」(御書564ページ)と仰せになりました。

この心の力を発揮していくことが、人生と生命の勝利の要諦である。これこそが「法華経の兵法」にほかならないのです。

(以上、『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻より)

法華経の兵法」とは、どこまでも御本尊根本に、大確信の祈りで、あふれてくる智慧と勇気で、無明と戦い、宿命を破り、絶対勝利する信心のことです。

いかなる時も、宇宙根源の法である妙法に基づく時、絶対に行き詰まることはありません。一切の敵を必ず打ち破ることのできる絶対無敵の功力があるのです。

「諸余の怨敵は、皆悉摧滅せり」(法華経600ページ)――この薬王品の経文は、法華経を受持し、弘通する福徳が、いかに偉大であるかを示した一節です。

すなわち、妙法を受持し、弘通する功徳によって、成仏を妨げるあらゆる魔軍を打ち破ることができる――これが「法華経の兵法」の力であると。

ゆえに戦いに勝ち、生命を守るための「兵法剣形」の真髄も、実は「法華経の兵法」にあるのです。

私たちが健康になり、生きがいに満ち、地域・社会で信頼の実証を勝ち開いていく――そのあらゆる努力、工夫、挑戦の根本こそが「法華経の兵法」すなわち「強盛なる信心」なのです。(同上より)

四条金吾殿御返事の参考文献など

  • 『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻、「四条金吾殿御返事」(聖教新聞社
  • 『御書と師弟』第1巻、「法華経の兵法」㊤㊦(同)

4月度「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」

本抄は、鎌倉の中心的門下・四条金吾に送られたお手紙で、弘安2年(1279年)の御述作とされています。本抄の内容から、別名を「法華経兵法事」「剣形書」ともいいます。

4月度「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」 | 女子部「御書池田大学運動」 | 仏法を学ぶ | 創価学会青年部サイト SOKA YOUTH web

9月度「四条金吾殿御返事」

9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四条金吾殿御返事」を研鑽。広布と人生に勝利するための「法華経の兵法」を学ぶ。

9月度「四条金吾殿御返事」 | 男子部「御書活」研鑽 | 仏法を学ぶ | 創価学会青年部サイト SOKA YOUTH web

四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

四条金吾殿御返事(法華経兵法事)第一章 金吾の存命を喜びその理由を明かす、以降の記述。

四条金吾殿御返事(法華経兵法事) : 創価教学研究室 (Tommyのブログ)

四条金吾殿御返事・法華経兵法事

さきごろ強敵と争いあったことについてお手紙をいただき、くわしく拝見しました。  それにしても、以前から、あなたは敵人にねらわれていたでしょう。しかし、普段からの用心といい、また勇気といい、また法華経への信心が強盛な故に、無事に存命されたことは、このうえなくめでたいことである。以降の記述。

四条金吾殿御返事・法華経兵法事 | 未来を拓く青年(きみ)よ

日蓮大聖人と私 四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

これにつけても、いよいよ強盛(ごうじょう)に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず。以降の記述。

日蓮大聖人と私 四条金吾殿御返事(法華経兵法事)