御書の講義と研鑽

毎月の座談会御書と御書講義御書及び教学部教学試験の研鑽についてのブログです。

4月度御書講義の御書 立正安国論

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4月度(2017年|平成29年)の「御書講義」の拝読御書は「立正安国論」です。御書講義の拝読範囲は「主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り雀変じて蛤と為る~汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐をいのらん者か」(御書全集31ページ7行目~18行目、編年体御書169ページ5行目~17行目)です。対話の力で安穏な社会の建設を目指して参りましょう。

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立正安国論の背景

立正安国論」は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、39歳の時、時の実質的な最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。

「諫暁」には、仏法者の立場から相手の誤りを指摘して、正しい道に導く、との意義が込められています。

本書の宛先は、直接は北条時頼ですが、広くいえば社会の指導者全般であると拝することができます。さらに主権在民の現代にあっては、主権者たる「国民一人一人」が「国主」であり、本書の精神を訴えていくべき対象となります。

当時は、大地震・大風・洪水などの自然災害が相次ぎ、深刻な飢饉を招き、加えて疫病の流行などが毎年のように続き、人心は乱れ、民衆は苦悩の底にありました。中でも、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」が、本書の執筆を決意された直接の動機となりました。

2017年4月度座談会での立正安国論の講義内容

立正安国論の大意

「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読みます。具体的には、人々の心に正法を確立し(立正)、社会の繁栄と平和を築く(安国)との意味です。

本書は、相次ぐ災難による災禍を嘆く客の言葉から始まり、それに対して主人が、“災いの原因は、人々が正法に背き悪法を信じていることにある”と述べるところから対話が開始されます。

主人は災厄の元凶として、当時、隆盛を誇っていた念仏を強く破折され、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書24ページ)と、謗法への布施を止めて正法に帰依するならば、平和楽土の実現は間違いないと断じられます。

さらに、このまま謗法の教えに執着していくならば、経典に説かれる七難のうち、まだ起こっていない自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(外国からの侵略)の二難が競い起こってくることを警告し、実乗の一善(妙法)に帰依するよう、促されています。

最後に客は、謗法の教えを捨てて妙法に帰依することを誓います。この誓いの言葉が、そのまま本書全体の結論となっています。

10問9答の「問答形式」 心つかむ納得の語らいを

立正安国論」は客(=北条時頼を想定)と主人(=日蓮大聖人を想定)の10問9答の「問答形式」で展開され、誤った教えに執着する客に対して、主人は理路整然と真実を説き示していきます。

冒頭は「旅客来りて嘆いて曰く……」(御書17ページ)と、天変地異や飢饉、疫病など、相次ぐ災難を嘆く客の言葉から始まります。これに対して、「主人の曰く独り此の事を愁いて胸臆に憤?す客来って共に嘆く?談話を致さん」(同ページ)と、主人も同じ悩みを共有していたことを明かします。

主人は悠然と、時には相手をなだめ、時には毅然たる態度で、「文証」「理証」「現証」の上から、客の誤った考え方を諭していきます。それに対し、「客色を作して曰く」(同20ページ)、「客猶憤りて曰く」(同21ページ)と、客は感情を高ぶらせて主人を批判します。

日本浄土宗の開祖・法然を尊崇する客に対し、主人が「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(同24ページ)と言うと、「客殊に色を作して曰く」(同ページ)と、客の怒りは頂点に達し、席を立とうとします。

その時に、主人は「咲み止めて曰く」(同ページ)――笑みをたたえ、去ろうとする客を止めて、話を続けるのです。

やがて主人の明快な話と、確信あふれる姿勢に心を動かされた客は、徐々に態度を改め、最後は「私が信ずるだけではなく他の人にも語っていく」(同33ページ、趣意)と決意する真の“同志”に変わっていきます。

このように、「立正安国論」が「対話」で展開されていることは、極めて示唆に富むといってよいでしょう。

“対話の力”で安穏な世の中、平和な世界を築いていく――。「立正安国」の戦いを現実の上で進めているのが、創価学会なのです。

二難の予言が的中 戦乱を回避するとの思い

拝読御文で、主人は謗法の対治を誓う客の変化を喜び、直ちに決意を実行に移すよう呼び掛けます。そして、謗法を対治しないならば薬師経・金光明経・大集経・仁王経の四経の文に照らして、七難のうち、まだ起こっていない「自界叛逆難」と「他国侵逼難」の二難が起こると警告しています。

主人は、北条時頼をはじめとする為政者に対し、他国侵逼難や自界叛逆難が起これば、統治の基盤である国家そのものが滅び、臣下の地位・生活の基盤である所領そのものが侵略されることを強調。その時に驚いても、もはや逃れるところもないと諄々と諭されます(御書31ページ、趣意)。しかし幕府は、この大聖人の警告を受け入れませんでした。

その後、「自界叛逆難」は12年後の文永9年(1272年)の二月騒動(北条一門の内部争い)となって、また「他国侵逼難」は蒙古襲来(14年後の文永の役、21年後の弘安の役)となって現れたのです。

「三世を知るを聖人という」(同287ページ)との原理に照らした時、「立正安国論の予言」の的中は、大聖人が「聖人」、すなわち「仏」であることを証明したものであるといえます。また、大聖人御自身が「種種御振舞御書」で、「安国論」の予言の符合は「仏の未来記にもをとらず」(同909ページ)と仰せになり、御本仏の御境涯を示唆されています。

しかし、もとより大聖人は、予言の的中を求めていたわけではありません。

大聖人が自らに迫害が及ぶことを承知の上で「立正安国論」を提出し、国主諫暁された御真意は、民衆を救済するために、「何としても未然に戦乱を回避しなければならない」との強い「慈悲」の発露でした。

「安国論」の中の予言は、法に基づく「智慧」の発露なのです。

「四表の静謐」を祈れ 自分だけの幸福はない!

大聖人は、本書の予言と警告の結論として、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(御書31ページ)と仰せです。

すなわち「一身の安堵」――自分個人の生活の安泰、一家の幸福を願うならば、「四表の静謐」――世界の平和と、それに基づく国の安定を祈るべきであると示されています。

この一節は、為政者に対する諫暁であると同時に、学会員である私たちの実践の指標となっています。

日蓮仏法は「自他共の幸福」の実現を目指しています。それは、自分だけの幸せを求めるのではなく、他人の幸せをも祈り、行動していくという意味です。その地道な実践に日々、まい進しているのが、私たち学会員の一人一人です。

池田先生は、つづられています。

「もし、自分だけの幸せのみを願ってよしとする生き方であれば、それは、あまりにも無慈悲であり、仏法上、慳貪の罪となってしまう。また、それでは、道理のうえからも、エゴ的な生き方といわざるを得ません。自分のみならず、周囲の人びとも、共に幸せにならなければ、自身の本当の幸せはない。ゆえに、自行化他にわたる実践のなかにこそ自身の真実の幸せがある。そこに私どもが、広宣流布に、さらには立正安国に生きるゆえんがあるんです」

私たちは「立正安国」の精神を胸に、自身の深き使命を確信しながら、地域に友情の輪を広げる対話に率先していきましょう。